第118回 徳本上人の名号碑 (2008/10/10掲載)
今年の夏は社務所改築工事で忙しく過ごしておりました。
その合間をぬって8月盆過ぎに小布施から須坂、渋温泉、善光寺を訪ねました。
印象に残ったのは徳本上人の名号碑です。
渋温泉の温泉寺と善光寺境内にありました。
とくに善光寺の碑は立派なものでした。
名号碑は「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑をいい、お堂の前や墓地などで普通に見られます。
この連載では以前に槍ヶ岳を開山した播隆さんと、土岐市妻木町にある閑唱さんの名号碑を紹介させていただきました。
徳本上人は、宝暦8年(1758)和歌山県の農家に生まれ、4歳の時近所の子供の死に接して、仏の道に興味をもったといいます。
27歳で得度を得て各地へ修業の旅を始めます。
徳本は「南無阿弥陀仏」ただひたすらに唱え、各地で人々を苦難から救いました。
名号碑は近畿地方から東海、北陸、信州、関東にわたって多数立てられており、その数は数百あるといわれています。
東濃地方では中山道筋の恵那市などにあるそうですが、私が見たのは、可児郡御嵩町にある願興寺(蟹薬師)境内のものです。
本堂の前右側に三本並んで石碑があります。
その中の一番高い石碑が徳本さんです。
真ん中にあるのが閑唱さんの名号碑で、これを訪ねてきた時に、始めて徳本さんの名号碑をみました。
独特の字体が印象に残りました。
善光寺と願興寺の名号碑は同じ旅程で建立されたものであると考えられます。
文化13年(1816)3月に徳本は江戸を発ち、信州から美濃、飛騨、北陸方面をまわっています。
善光寺の名号碑には文化13年5月と刻まれています。
長野市周辺にある60基ほどの名号碑のほとんどはこの時のものだそうです。
徳本は飯田、馬籠をへて美濃国に入り、落合、大井と中山道を進み、美濃、高山から北陸地方へ向かいました。願興寺の名号碑には年号がありませんが、この旅の時の可能性が高いと思います。
徳本名号碑を捜してみませんか。独特な字体と「徳本」と必ず彫ってあります。
中山道筋がねらい目です。
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